続、母の認知症のこと
昔話
昨日のブログの続きです
母の認知症がどんどんすすんでいき
私の中でも、何かが壊れていくようで
体の不調も見えてきます
目の疲労の時に目の下がピクピクしたりすること
経験した方もいると思いますが
ある日 左目の下がピクピクして止まらない
すっと動き続けている ひとときも止まらない
一度止まったと思ったら、
また心が乱れることがあると始まったので
やはり精神的な症状なのだとわかりました
それが1年半以上続きました
ずっと動いているので気持ち悪いのも慣れましたが
人と向かい合って話しているときは
相手の人はそれを見てどう思うだろうって
気にする日々
めまいが続いて旦那さんが心配し
一緒にMRIを撮りにも行きました
医者にストレスと言われました
母は家の中でも私を探してウロウロするので
だんだん母の顔を見るのもいやになっていき
思わず隠れたりしてノイローゼのようでした
デイサービスは楽しく行ってくれ
ケアマネがショートステイの利用も勧めてくれ
週に1泊2泊してくれる時はほっとするひとときでした
母が家から離れる日や時間が増えていくと
いっそう母が家にいる時間がとても辛くなり
介護から解放されたい気持ちが募っていく
この先もっと大変になるので
その頃から施設入居を考え始めます
父は早くに亡くなっているので
母の年金、遺族年金は少ないので
特別養護老人ホームしかなくて
何年待ちになるかわからないものの
あちこち見学に行って、何カ所にも申し込みました
3年待っても順番は回って来ず
そんなとき新しく特養ができる事を知り
新しくできるときは一度に100人ぐらい入れるので
母の様子を手紙に書いて訴えたりして
母は87歳の時 特養に入居できました
一緒に住みだして10年後のことです
入居当時は夜になると私の名前を呼んで
あちこち私を探していたらしく
その様子を聞くと申し訳ない気持ち
罪悪感でいっぱいになったけど
そうしないと私も壊れるし
母も私と喧嘩するより優しい人に見てもらう方がいいと
特養は定期的に介護方針の会議があって
私と介護職員、看護師、栄養士と集まって報告
家族からの要望も聞いてくれました
私も週に1回は行き食事の様子を見たり
後に食べさせるためにいきました
だんだん、誰かもわからなくなっていく母ですが
私だけはわかってくれて
一緒に行ってくれた長男が
「お母さんだけはわかるのは奇跡やな」と
その言葉を聞いて
言葉も話せず流動食を食べさせてもらっている
いつもぼ~として何もわかっていないと思っていた
入居者のおばあさんが涙を流してました
全部聞いていてわかっていたのですね
そのあと、私もわからなくなり
話もできなくなっていきます
何回も誤嚥性肺炎を起こし
病院へ入院したこともありました
施設から電話がかかってくると何かあったのかとドキッとし
電話が鳴る事が恐怖になりました
なので、連絡報告は決まった曜日にしてもらいました
食べる、飲み込む動作も忘れていくので
栄養高カロリーゼリーの食事になり
最後は体重も20キロ台になり
手足も曲がったまま固まってしまい
そんな体を辛くて見れませんでした
遺漏はしないと言う考えは私も姉も同じでした
もうダメかも思っても何回もよみがえった母ですが
最後は安らかに眠るように逝ってくれました
認知症介護は人の手を貸してもらうのが一番
みんなが優しくなれます
今の時代デイサービス、ショートステイと
利用できるものに助けられます
でもなかなかそうできない事情もあります
私の場合 母が家にいるときは
息子達もまだ家にいたときなので
旦那さんや息子達と大変な思いを分かち合えたので
やってこれたと思います
今 介護に頑張ってられる方
その気持ちはよくわかります
応援しています

長い文章 できるだけ簡略にしたつもりなのに
読んでくれて頂きありがとうございました

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母の認知症がどんどんすすんでいき
私の中でも、何かが壊れていくようで
体の不調も見えてきます
目の疲労の時に目の下がピクピクしたりすること
経験した方もいると思いますが
ある日 左目の下がピクピクして止まらない
すっと動き続けている ひとときも止まらない
一度止まったと思ったら、
また心が乱れることがあると始まったので
やはり精神的な症状なのだとわかりました
それが1年半以上続きました
ずっと動いているので気持ち悪いのも慣れましたが
人と向かい合って話しているときは
相手の人はそれを見てどう思うだろうって
気にする日々
めまいが続いて旦那さんが心配し
一緒にMRIを撮りにも行きました
医者にストレスと言われました
母は家の中でも私を探してウロウロするので
だんだん母の顔を見るのもいやになっていき
思わず隠れたりしてノイローゼのようでした
デイサービスは楽しく行ってくれ
ケアマネがショートステイの利用も勧めてくれ
週に1泊2泊してくれる時はほっとするひとときでした
母が家から離れる日や時間が増えていくと
いっそう母が家にいる時間がとても辛くなり
介護から解放されたい気持ちが募っていく
この先もっと大変になるので
その頃から施設入居を考え始めます
父は早くに亡くなっているので
母の年金、遺族年金は少ないので
特別養護老人ホームしかなくて
何年待ちになるかわからないものの
あちこち見学に行って、何カ所にも申し込みました
3年待っても順番は回って来ず
そんなとき新しく特養ができる事を知り
新しくできるときは一度に100人ぐらい入れるので
母の様子を手紙に書いて訴えたりして
母は87歳の時 特養に入居できました
一緒に住みだして10年後のことです
入居当時は夜になると私の名前を呼んで
あちこち私を探していたらしく
その様子を聞くと申し訳ない気持ち
罪悪感でいっぱいになったけど
そうしないと私も壊れるし
母も私と喧嘩するより優しい人に見てもらう方がいいと
特養は定期的に介護方針の会議があって
私と介護職員、看護師、栄養士と集まって報告
家族からの要望も聞いてくれました
私も週に1回は行き食事の様子を見たり
後に食べさせるためにいきました
だんだん、誰かもわからなくなっていく母ですが
私だけはわかってくれて
一緒に行ってくれた長男が
「お母さんだけはわかるのは奇跡やな」と
その言葉を聞いて
言葉も話せず流動食を食べさせてもらっている
いつもぼ~として何もわかっていないと思っていた
入居者のおばあさんが涙を流してました
全部聞いていてわかっていたのですね
そのあと、私もわからなくなり
話もできなくなっていきます
何回も誤嚥性肺炎を起こし
病院へ入院したこともありました
施設から電話がかかってくると何かあったのかとドキッとし
電話が鳴る事が恐怖になりました
なので、連絡報告は決まった曜日にしてもらいました
食べる、飲み込む動作も忘れていくので
栄養高カロリーゼリーの食事になり
最後は体重も20キロ台になり
手足も曲がったまま固まってしまい
そんな体を辛くて見れませんでした
遺漏はしないと言う考えは私も姉も同じでした
もうダメかも思っても何回もよみがえった母ですが
最後は安らかに眠るように逝ってくれました
認知症介護は人の手を貸してもらうのが一番
みんなが優しくなれます
今の時代デイサービス、ショートステイと
利用できるものに助けられます
でもなかなかそうできない事情もあります
私の場合 母が家にいるときは
息子達もまだ家にいたときなので
旦那さんや息子達と大変な思いを分かち合えたので
やってこれたと思います
今 介護に頑張ってられる方
その気持ちはよくわかります
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読んでくれて頂きありがとうございました

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